流れる空の中で数学を。

とある数学好きの「手作りすうがく」と「気ままな雑記」。

一分後の自分は何を考えているか?求めよ。

Amazon.co.jp: Yoshiki Ueoka:作品一覧、著者略歴

はじめに

「自分は、自分だ。」(wikipedia:トートロジー

人が考えることには、自分がまだ意識できてないレベルで、法則みたいなのがあるように思える。
 

例えば、 

1.ふと思いついたわりと意味不明なことをネットで調べてみてたら、同じことを誰かが書いていたり。(らっきょうグラタン、ミジンコのみじん切り、その他ホントにどうでもいいこと……など。)

2.ネット将棋で観戦してみたら、自分の考えてるのと同じ手が5~6手くらい連続して指されて、なんだかぞわっとしたり。

3.映画や本の感想だと、なんとなく自分の思ってたことが、amazonのレビュー欄なんかで既に文章化してあったり。

4.数学のテストや勉強で間違えやすいポイントがあると、教えられたわけでもないのに同じ間違え方をしたりする。それも結構な人数が。

 

なんとなく、思考の”素因数”みたいなものがあるような気がしてくる。
そして、おそらく普段意識してできている思考なんかはきっと、これらの”素因数”を掛け合わせた合成数なんだろう等と空想を進める。

 

あなたとわたしの素因数分解 

例えば、この思考の素因数描像を受け入れて、自分と違うタイプに出会ったときの対応を分類してみる。

 1.最大公約数をとるパターン

 2.最少公倍数をとるパターン

 3.互いに素

基本的なパターンとしてこの3つがあり、1は自分を削ってでも相手に合わせ、2はお互いを受け入れあっていき、3は我が道を行く。
(ここで、3だけが変化・成長しないわけではいことを注意しておく。時刻tでの太郎君と剛君の思考を自然数m(t), n(t)と同一視すると、m(t), n(t)が互いに素であるような時間発展が存在するからだ。)

 

いつかの未来に超賢くなった人類が、超スゴイ人工知能を作って、人間の思考を”素因数分解”して完全解析……なんてできてしまうんだろうか?
適当なことを言うと、後3000年くらいはできそうにない技術な気がするので、自分には関係の無い話だろうが。
まー、こんないらんことを考えてしまうのは、一時期SFばっかり読んでたせいだろう。

 

まとめ、そしてこのブログについて

少なくとも今は、次の瞬間自分が何を考えているかなんてわからない。
数式にどっぷり浸かって遊んでると、少し前の自分が思い持つかなかったことが隅から隅まで見通せる瞬間があったりする。
そんなとき、数式はただの文字列ではなくなって、自分の内側に少し溶け込んでくる。
そうすると、少し目が覚めたような感覚もする。
まるで少し前の自分が寝ぼけていたんじゃないかって思えるくらいに、少し世界が違って見える。

 

逆に言えば、起きた直後は覚えていた夢を全く思い出せなくなるみたいなこともある。
そうやって、昨日考えていたや今考えていることも忘れていくんだろう。
(昔は微分積分がなかなかわからなかった自分も、今では何でわからなかったのかすらわからなくなっている。「何かが得意な人が、教えるのが上手とは限らない」。その一般的な原因の1つがここにあるんだろう。)
 

寝ぼけていろいろ書いたが、日々変わっていく思考に切なくなったようなので、今の自分が考えてることのスナップショットを時々残してみようかと思う。
 

雑感、考えたこと、数学、その他いろいろなことなんかを。